ホノルルマラソン完走記
2013.12.8

〜By Takako Notoya〜



12月6日(金)マラソン2日前

ホノルル空港に降り立ち、
「ここが…。」
とあたりを見回したところで見えるのは、日本人と飛行機とコンクリート、時々ヤシの木。
(ふぅ〜ん、さすがにハワイ、暖かいな。)

のんびりツアーバスに乗り込み、一路コンベンションセンターへゼッケンの受け取りに向かう。
到着したコンベンションセンターではEXPOが開かれ、レースに必要なアイテムの販売、ホノルルマラソン完走へ向けた直前講習会らしきイベントなどが行われていた。

私が到着したときはちょうど高橋尚子さんの講演の最中で人だかりができていた。

いたってマイペースの私は、併設のフードコートで遠くその声をききながら、夕食となるスパムおにぎりと大盛のサラダと白湯をいただくのだった。

(注:ちゃんとゼッケン受け取りましたよ。)





12月7日(土)マラソン前日

時差ぼけもなく、英語はカタコトでいいし、食べ物もおいしい。ホノルル最高。


ほしいものはコンビニABCショップやアラモアナセンターでなんでもそろう。
「餅か赤飯が食べたい。」

今まで、より長い距離に挑戦するときは、決まって餅や赤飯を食べる私はそれを探しに徒歩で20分のアラモアナセンターへ。

そこはホノルルマラソンのスタート地点(の向かい)でもあり、当日の下見にもってこいだった。


レースとほぼ同じ服装で、お昼のホノルルを走ったり歩いたりしながら調整と称したショッピングを繰り広げる私。
(やはり12時ともなるとかなり暑い、なんとか昼前にゴールしなければ…。)


持参したハーフパンツでは暑くて走りづらいと感じ、スポーツ用品店で新たにランパンを購入。

「キャナイ トライ ディス オン?」
「of course!」
(つ、通じた…!)

カタコト英語も通じ、日本食が手に入る白木屋ビルで赤飯を(さらにあんぱんも)入手し、19時就寝の私は夕方15時、意気揚々と岐路についた。

高橋尚子さんのトークショー 初日の夕食



12月8日(日)マラソン当日

1時起床。
本当は外を散歩したいところだったが、部屋で腹筋やストレッチ、腿上げなどを行い朝食。
メニューはサラダ、バナナ、あんぱん、おにぎり、水、バーム。
バームは恩人和田氏から餞別として頂いたものだ。

4時前にスタート地点に到着したもののすでに参加者であふれていた。

私はタイム4時間〜5時間の位置でだらだらとストレッチをし、スマホで周囲の撮影。

そうこうしているうちにグループで来た日本人の方に声をかけられ一緒に記念写真。
ランピースというグループだそうで、出会って3分でお仲間にいれていただき、その中のお一人と今回は走ることに。

花火が上がり、スタート!
「ダイヤモンドヘッドで見る朝日はとても美しいですよ。」
「で、日の出は何時なのですか?」
「7時13分です。」
ランピースの面々

ゆっくりと花火を見、会話を楽しみながらスタートし、すでに30分。

ダイヤモンドヘッド頂上(15キロ付近)にはそれに合わせて(2時間弱で)到達しようと話し合った結果、私はリミッター解除でホノルルの街を駆け抜けることにする。
(あれほど、おさえていけと言われたのに…。)

夜明け前のホノルルは温度も湿度もちょうどよく本当に気持ちがいい。そして街はクリスマスのイルミネーションや早朝にもかかわらず応援してくださる方々がいっぱいで、その光景もまた駆けていく私の背中をおすのだった。

あっという間の15キロ、そしてダイヤモンドヘッド頂上。ちょっとはやすぎて日の出のタイミングにあわず、そのまま通過!(なんてこった…。)
ハーフ地点までちょこちょこ給水しつつ元気に駆け抜け、ハーフをすぎたところでトイレもすませ、距離は残り半分に。

しかし練習不足とオーバーペースが徐々にカラダに現れてきた。
25キロすぎ、少しずつ足が重くなってくる。
(走ったことがない距離にはいってきた…。)
という不安も拍車をかけるのかガクンとペースが落ちるのを感じた。

30キロ通過。ペースはキロ8分弱。さらに足が重くなってくる。この先もっとペースが落ちることは必至だった。
「30キロから自分のマラソンをするんだよ。」
という佐藤先生の言葉が頭をよぎり、止まってストレッチをし、また走り始めた。
時計は9時をまわる少し前、ホノルルの気温は上昇を続けていた。

だましだまし35キロまでたどりつく。やはり5時間でのフィニッシュは厳しいと感じ、目標を5時間台でのフィニッシュに切り替えた。

照りつける太陽の日差しに水分を奪われ、股関節部の痛みもいよいよでてきた。

すでに歩いたり走ったりを繰り返すようになっていた。
氷がきたら股関節部にあて、スポンジがきたら後頚部でしぼり背中へ冷水を流し込んだ。
給水所ではゲータレートも水も飲んだ。救急車が走るのを何度か見かけた。

「苦しいでしょ?」ときかれれば、
「まあ、足が動かないのがね…。」と答えたかもしれない。
それでもあきらめる気なんてさらさら起きなかった。
そこにはフィニッシュするために必死で、決してクールとはいえない自分がいたが、あまりにも楽しかった。もっと走られるようになりたいと思いながら足を前に出し続けた。


38キロ地点、スタートから5時間は経過していたと思う。
(あと4キロ程度しかないのか!)
(歩いたけれど)5時間台での完走は確信する。
当然だが、39キロ…40キロ…と沿道の表示は42.195キロへ、近づいていく。


住宅街の景色がそろそろ終わることも、フィニッシュが近いことを私に伝えていた。
(あぁでも足がもう上がらないなぁ…このままたらたら行くしかないのかな…。)
そう思ったのもつかの間。声援が急に大きくなり、うつむきかげんだった私はとっさに顔を上げた。


前方に見えるのはもちろんフィニッシュアーチ。声援をくれるたくさんの人の顔も見える。

正直、少し泣けた。暑い中応援してくれる皆さんに感謝の気持ちもあふれてきた。

そして上がらなかった足は不思議と上がった。残り800メートル全力疾走。


実際、40キロ地点はキロ9分半ペースの通過だったがフィニッシュはキロ7分半で記録されていた。
ネットタイムは5時間27分29秒。

完走記念 休憩用テント

フィニッシュするとまず貝殻でできた首飾りをかけてもらった。次に、参加したツアーの旅行会社の方が近づいてきて、休憩用のテントの位置を教えてくれた。

「応援ありがとうございました。」と伝えると「あれ?わりと元気ですね。」
と返されたが、(フィニッシュ)直後の興奮でそうみえていただけだったと思う。

すぐにフィニッシャーズTシャツとメダルを受け取り、記念写真をとったのだが、もう疲労と空腹でくたくただった。
テントでかき揚げうどんとアイスクリームとマラサダをたいらげ、あんぱんと水を土産にホテルに送ってもらった。

部屋につくなり風呂へ直行しその後ベッドへ。
食べられるだけ食べたあとは、眠られるだけ眠ることにした。これは13時すぎのことだった。

21時、目を覚ますとまたお腹が減っている。不思議だ。
枕元においたあんぱんをもしゃもしゃと食べ、ごくごくと水を飲んだ。再び就寝の準備をし、眠ることにした。



12月9日(月)〜10日(火)マラソン翌日〜帰国

食べるだけ食べ、眠るだけ眠った私は、しゃがむのは厳しいが他はなんともないというくらいまで回復していた。

シャワーを浴び、パンケーキを食べにエッグスンシングスへ。
パンケーキ前のアサイ―ボウル パンケーキとチーズオムレツ・・・でかい!

お得なセットメニューを頼んだはいいが、サイズがハワイアンサイズだということを失念していた私は、でてきた量の半端ない多さに驚かされることとなった。

街をぶらぶらしたり、トロリーにのったり、サンセットビーチを写真に収めたり。
夜はイルミネーションを見るためにまた出かけた。

特別、観光するわけでもないのんびりした時間だったが、あっという間にすぎていった。

最終日、11時50分ホノルルを出発。

約12時間機内で過ごし、さらに2時間ほどJRに揺られ無事帰宅。

よい6日間だった。支えてくださったありとあらゆる方への感謝の気持ちでいっぱいだ。
“ありがとうございました。なんとか完走できました。”

さて、2014年は4時間台でフル3本完走が目標。またトレーニングに励まねば!






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