![]() 日本海オロロンライントライアスロン国際大会2002
オロロンの軌跡
text:さとちゃん
photo:さとちゃん&滝さん
2003年オロロンを目前に、今まで暖めてきた02年オロロン挑戦記。
諦めなければ、必ずゴールできると信じて、走りつづけた。
初挑戦の結果は如何に・・・
オロロンライントライアスロン は、スイム2.0km、バイク200.9km、ラン41.8km、延長243.9kmの日本最長トライアスロンだ。
もともと、ロングディスタンスのトライアスロンは世界的にもそれほど多くなく、ここ日本においても数えるほどしかない。この大会に出場するために日本だけではなく、世界からも出場者が集まってくる。と言っても、昨年の覇者スチュワート・スミスが参加できなくなり,今年の外国人選手はカレン・ミルン選手の一人だが。カレン選手は、留萌市在住英語教師なので、日本人のようなものか。この期間は、町に不慣れなカラフルなバイク、ウエアをまとったトライアスリートが増毛町に溢れる。(増毛「ましけ」と読む。くれぐれも「ぞうもう」とは読まないように。) ここ増毛町は、国稀酒造があることでも有名。酒蔵の直売所に行けば、ここでしか買えない限定酒もある。ランナーには酒豪が多いと聞くが、トライアスリートはどうなのだろうか。 トライアスロンは、種目の数と、装備の数、コースの広さのおかげで、運営は非常に大掛りで難しいものになっている。参加する選手も類に漏れず、2日前からの選手登録、競技説明会、そして前日のバイク車検、ゴール地点への車両運搬など、とにかく盛りだくさんの内容なのだ。出発当日、私は急きょ仕事が入り、パニックに陥っていた。なんとか午前中に仕事を終え、今回一緒に参加することになる北野主将と受け付け会場にぎりぎり到着。事なきを得たように思えたが、惨劇は翌日に待っていた・・・。 ![]() カーボパーティー 仲間との久しぶりの再開を楽しむ。
![]() カーボパーティーで披露された、地元よさこいの舞。
現地入り2日目(大会前日)のメインイベントは、バイク車検と車両移動である。トライアスロンでは、自転車のことをバイクという。アメリカ発祥のスポーツなので、英語のバイ
シクルから来ている。バイクは数十万円するので、価格的にはエンジン付きのバイクと何らかわらない。フィニッシュ地点が100kmも北の羽幌町のため、レース後移動に困らないように、ゴール地点に車両を移動するという仕事がまっている。 なお、スタート地点のホテルへ戻るには、路線バスか仲間の車に乗合して戻ってくる。路線バス利用者は事前に利用券を申し込む。もちろんタダ。
ハプニング
は突然起きた。なんと、慌てて札幌を出発したおかげで、ダウンヒル・バー(以下DHバー)やその他の大切なパーツを忘れてきてしまったのだ。札幌に戻ろうか?すぐさま札幌に向けて車を走らせたが、途中で車検終了時刻までに戻って来られないことがわかり、増毛町に引き返した。 幸い、現地に出店していたスポーツ・スウェットの久保埜さんから、DHバーなど忘れたもの一式を調達して事なきを得たが、大きな出費となってしまった。
それに何より、何百キロも乗り込んで調整してきたDHバーではなく、初めてのDHバーに困惑することになる。DHバーとは、ダウンヒル・バーの略で、ハンドル中央部に、「水牛のつの」の様に突き出したもう1組のハンドルの事。スキーの滑降(ダウンヒル)で、かがんだ姿勢で滑り降りてくるダウンヒルポジションに似ていることから、この名がついている。ダウンヒル・ポジションを取る理由は、スキーと同じく、風の抵抗を少しでも少なくするためだ。
ダウンヒル・ポジションでは、窮屈になり過ぎないこと、且つ上体が起き過ぎないこと(起き上がれば風の抵抗を受ける)が重要だ。さらに細かく言えば、呼吸が楽であること、重心の決め方(前乗りか後ろ乗りか)、首が痛くなりにくいこと等々。これらを決めるために何百キロも乗り込んで、調整を繰り返し、位置決めをしているのである。即席で取り付けたDHバーでこれら全てを満たすことは不可能だが、少なくとも、DHバーが無いよりはましか。この他にも、サプリメントフードを入れるバックをまるトラさんにお借りしたり、窒素ガスボンベを北野さんに借りるなど、みなさんには本当にお世話になりました。(来年は、このようなことが無いように、札幌でバイクを完成させておきます。
仕事が入っても慌てないように、何日も前から準備いたします。反省)
![]() トランジット風景。
あいにくの曇り空。明日天気になーれ!
![]() 左:棟方さん、中央:槙本さん、右:谷口さん。
明日の入念な打ち合わせ!?
いやー、高齢化が進んでおります。(失敬・・・笑)
明日は、レース本番だ。今晩は、スタート地点にほど近い増毛温泉に、函館トライアスロンクラブのみなさんと宿泊。函館勢はオロロンには何度も出場している猛者ばかり。
中でも高谷会長は、齢60を過ぎるも、マラソンを3時間で走るトップアスリートだ。昨年2001年はHBCのスペシャル番組オロロントライアスロンのドキュメンタリーにも出るほどの有名人である。
紅一点は、加藤弘子さん。彼女も足が速い。彼女の走るフォームは腰高で、軸がブレずにとても美しい。もちろんフルマラソン3時間ランナーである。そして強面の筒井さん、江差の唯一のトライアスリート?である。産婦人科医の槙本さんは、癒し系。函館秘密兵器の一人、棟方さんは3種目ともバランスのよいスーパーアスリートだ。
最後は、我らが兄貴!ドラッグストアー谷口の谷口さん。谷口さんは、過去に出場したオロロンは全て完走。サロマ湖100kmウルトラマラソンも出場した時はすべて完走のウルトラマンである。
しかし、ここ数年はいずれの大会にも出場していなく、今年再び、オロロンにカムバックするために体を仕上げてきた。私と北野さんをトライアスロンに「ハマる」ように仕向けた?仕掛け人である。
ハプニング続出 あれこれあったが、無事2日目を終了し、明日の大会本番を迎える・・・と言いたいところだが、悪夢はこれで終わらなかった。ホテルに到着し、函館トライアスロンクラブのみなさんと話が弾む中、悪夢は起きた!なんと、ゼッケンが無い。目の前が真っ暗になった。ゴール地点に移動した車両の中に忘れてきたのだ。あれほど、「ゴール地点に置いてきた車両に忘れ物をしないように」と自ら言っていたのに・・・。大会事務局に電話をしても連絡が取れない状況が続いた。ゼッケンの再発行もままならない。どうしたら良いのか? しかし、神は我を見捨てはしなかった。私のナンバーと北野さんのナンバーは「うりふたつ」ではないか! 幸い、ゼッケンは昼、夜用で2枚もらっているので、そのうち1枚をちょうだいし、油性マジックでマイ・ナンバーにさせていただきました。
おいおい!それって偽造だろ?
夜用ゼッケンは、ゼッケンに反射テープが貼られている。1枚のゼッケンで、終始レースをする人は、反射テープの付いた夜用ゼッケンを使いなさいと規則で決められているのだ。これは、レースが長丁場になりゴールが夜になる、ロングディスタンス・トライアスロンならでは。でも、貰った私のゼッケンは反射テープが付いていないではないか?ご心配なく。ゴール後に宿泊するホテルに連絡を取り、大会当日、コース上にマイゼッケンを出しておいてもらう事にしました。なんとも、機転が利くというか、順応 力があるというか。何だかんだ言いながら、乗り切っている自分が恐ろしい。
こんなハプニングが続き私は、忘れ物大王の異名をもらってしまった。仕方ないか。そうこうしているうちに、夜はふけて、就寝の時間となる。しかーし、函館のみなさんがすやすや寝られている中、私は、会社から電話があり、なかなか寝させてもらえない。サラリーマンは働き続けるのであります。9時が就寝時間だったが、自分が寝たのは11時過ぎとなってしまった。 起床
AM3:30にセットされた目覚まし時計が鳴り響く。気が張っていたせいか、同室の誰より早く目が覚める。AM4:30眠い中、朝食のためレストランへ向かう。朝が早いというのに、みなさん良く食べる。これから10時間以上も動き続けるのだから、食わねば体が持たないのだ。普段は朝食を摂らないで、アスリートにあるまじき行為をしている私も、無理やり食べ物をほおばる。 ホテルの外に出てみると、昨晩から続いていた強風は、収まっていた。強風が吹けば、たちまち完走率がぐんと低くなるだけに、ほっと胸をなでおろした。このオロロントライアスロンは、バイクパートが200.9kmと長いだけに、向かい風ともなると、バイクパートの疲労は、並のものではない。空には灰色の雲が、どんよりとたち込め、今にも泣き出しそうだ。寒くてどうしようも無くなることだけは、避けたい。天気が回復してくれることを今は祈ろう。 大会会場に着くと、そこは早くも戦場と化していた。最終選手登録を済ませると、腕にマジックでゼッケンが書かれる。谷口さんはこれを死体ナンバーと呼んでいるが、まさにその通り。海で仏様になったときの唯一の手がかりなのだ。
大会会場には、札幌からいつも一緒に練習をしている滝さんが応援&ヘルパーに来てくれていた。大荷物でゴールが100kmも北の地点のため、ヘルパーがいてくれると、本当に助かる。滝さんには、本当にお世話になった。
オロロントライアスロン初参加のため、経験者にアドバイスを受けながらスタートの準備を進めていく。何度も何度も頭の中でリハーサルを繰り返すが、不安は払拭できない。海から上がってきて、素早くウエアに着替えられるように、タオルをハンドルに、着衣の順にウエアをバイクに掛け準備する。靴下は、履きやすいようにあらかじめめくっておくと良い。バイクの最終セッティングを完了し、ウエットスーツに着替える。 日本トライアスロン連合(JTU)ルールに則り、規定水温以下の大会は、ウエットスーツの着用が義務付けられている。ウエットスーツといっても、スキューバダイビングに使うものとは違い、クロールがし易いように、伸縮性に優れた素材が使われている。ウエットスーツ内に水が多量に浸水すると溺れる原因になるので、フルオーダーメイド。体の各寸法を30箇所近く測定して作る。価格は5万円前後で、年に数回しか使わないうえに、5年ほどしか使えない高い買い物だ。トライアスリートの悩みの種でもある。
着替え終わると、スタート時間が迫っていた。 ![]() 受付を済ませると、両腕にボディーナンバーを書かれる。
うーん、トライアスロンって感じです。
![]() そして、間もなく長い1日が始まる。
増毛港、スイム会場にて。
運命のスタート
AM6時30分乾いたピストル音とともに、オロロンライントライアスロン第16回大会の幕が切って落とされた。昨年の今日、一応援者として傍観していた自分は、アスリート?として、オロロントライアスロンという舞台に飛び出した。 トップアスリートが先を争い、海へ飛び込んでいく。 コースは、増毛港に特設されたトライアングルのコース。一直線の折り返しだと、選手たちが交錯してしまうための配慮だ。
トライアングルの先端は、防波堤外側の外海に達する。トライアングルのインコースには泳ぎに自信のあるつわものが集まり、バトルが繰り広げられている。
スイム暦9ヶ月の自分は、バトルなどして溺れようものならリタイアへまっしぐらだ。慎重にコース外側から最後に入水する。泳ぎ始めは過呼吸気味になるので、焦らず自分のリズムをつかむことに集中。
100mほど離岸するとクラゲが大発生しているではないか。クラゲ達も、この異常事態を察したのか、水深2〜3mに浮遊しているが、時折前を泳ぐ選手の影から、顔面めがけてクラゲが飛んでくる。顔面を刺されたらシャレにならないので気を抜いてはいられない。
自分が折り返しを回る頃、トップ選手たちは、スイムを終了。 先端の折り返しは、外海なので、少しうねりがある。うねりは長波長の波なので、泳ぎの支障になるようなものではない。海にはこの他に潮の流れなどもあるが、ここオロロントライアスロンでは潮の流れと波はほとんどないので安心を。このあとに続くバイクパートのためにキックをほとんど打たずに脚力を温存してきたが、スイムゴールに向けてペースを上げた。47分でスイム終了。
陸に上がったら、シャワー区間を通過しウエットスーツを脱ぐ。シャワーは塩を洗い流すために浴びる。ここで塩を流しておかないと、晴れた日にはバイクパートで塩焼けしてしまい、皮膚が極度の炎症を起こすことがある。快適にバイクパートをこなすためにも、べとつく塩は流しておくほうが懸命だ。
ウエットスーツを脱ぐときに脚が痙攣を起こしそうになった。キックを打たないで、脚力を温存しておいたのに。なんてことだ。大会1月前から調子の悪い大腿二頭筋だったが、完治していなかったのか。 大腿二頭筋は、太もも裏側の筋肉で、体の芯を成す太い筋肉、いわゆる「体幹の筋肉」のである。何をするにも重要な筋肉なのだが、実は意識しないと有効に使えない筋肉でもある。この先、200.9kmのバイクと41.8kmのランに耐えられるのか、早くも暗雲が立ち込めた。 急いで、ウエットスーツを脱いだ後は、自分のバイクがある場所(トランジション)へと急ぐ。海外旅行などで飛行機を乗り継ぐことをトランジットと言うが、トライアスロンでは、種目変更をトランジットと言う。トランジットでは、ここで次のバイクパートのための着替えを行う。 トップ選手は、着替えの1秒も無駄にせず、すぐさまバイクパートへ移行できるようにトライアスロン専用ウエアを着用している。バイクをラックから取り出して、バイク乗車位置まで駆け進む。バイク乗車位置までは、決してバイクに跨ってはいけない。また、ヘルメットを着用しないで、バイクを乗車位置まで進めてもいけない。このルールはトライアスロン特有のもので、初心者には、わかりずらい様な気もする。新しいスポーツなので、安全配慮された上でのことなのだろう。
なお、審判に見つかれば、ペナルティーを課せられるので注意しよう。
スイムを終了した時点では、後ろにまだ数十名はいるようだった。昨年、47分のタイムなら、後ろには数人しかいないので、ある意味ホッとした。しかし、かなり後ろであることに変わりない。後発ではあるが、バイクに跨りいざ出陣。チーム3in1のこあきさんに応援され、元気をもらう。脚が調子悪くても、行くしかないのだ!
![]() 自分のバイクへと急ぐ。けど、結構疲れてます〜。
バイクパート突入
走り出して10分もしないうちに空が泣き出した。増毛町の外れでは霧雨だったものが、留萌市街に入る頃には大粒の雨へと変わっていった。留萌市街の名所?90度の下りコーナーにさしかかる。路面に雨水が溜まっているので、スリッピーだ。カーボンホイールを使用している選手は、ブレーキが利きにくいので、かなり手前からブレーキングをしている。自分もカーボンホイールだが、ブレーキの当たるリム部はアルミ製なので、ブレーキの利きは良好。雨の日の強い味方だ。ドライ路面と変わらぬスピードで突っ込む。10名弱の選手を抜いた。このまま留萌市街を抜けて、小平町へと向かう。 留萌市街では、雨足は益々強まり、わだちには雨水が溜まっている。走りにくく危険だ。こんな雨にもかかわらず、留萌市民のみなさんが、沿道を埋め尽くさんばかりに応援してくれる。気分が落ち込みやすい憂鬱な天気に、こういう応援はとても励みになる。 オロロンラインへ 国道232号線に乗り換えると、交通量も増えてくる。国道232号は、日本海沿いを留萌市から稚内へ向かう主要幹線道路で、通称オロロンラインと呼ばれている。オロロンとは、この地区に生息するウミガラス、別名「オロロン鳥」から由来している。 交通量が多いこともあって、道路には2本の轍(わだち)が走っている。轍内に入れば、雨水の抵抗で走りが重くなるし、避けようとすれば、路側にはスリッピーな白い幅員線が待ち受けている。バイク集団を抜けずにいる大型バスや、トラックの巻き上げる水しぶきの中で併走するときは、本当に神経を使う。小平町を抜ける頃、空はだんだん明るくなり、まもなく雨は上がった。
ここオロロンラインは風が強いことでも有名。力昼(りきびる)をはじめとして巨大風車群があちらこちらに建造され、優雅に羽を回している。 この風は、毎年、遠別町あたりまで追い風となり、選手を後押しする。追い風を強く受けるところでは、時速40km以上で走ることができる。トップ選手は時速50km近い速度で巡航している。緩い登りでも時速30kmが出るくらいだ。どうやって速度がわかるの?と思いの方もいるだろう。自転車には、サイクルコンピューターなるものが搭載されていて、時速、走行距離がわかる。上位モデルは、ペダリング回転数(ケイデンス)、平均時速、走行時間、現在の速度が平均時速を上回っているのか下回っているのかを表すペーサー、心拍数、ペダリング上死点〜下死点間の回転速度から算出される出力等々非常に多機能となっていて、選手達はこれらの情報を得て有利にレースを運ぶ。コンピューターが100kmの距離を示す頃、脚のパフォーマンスは、かなり下がっていた。
![]() 小平町を通過する頃、雨は上がった。
風が強く、日本海が波立つ。
鉛と化す
コンピューターから得られる情報の1つにケイデンスがある。 追い風のときは、ケイデンスの基本である90〜100回転をキープするよりも、重めのギヤでややゆっくり踏んでいったほうが、風に乗れるような気がする。軽めのギヤで漕いでしまうと、1分間のペダル回転が110回転をオーバーし、逆に乳酸が溜まってしまう気がするからだ。(カーマイケル、ランス・アームストロング著,ミラクルトレーニングによれば、これは正しい。)しかし、体調不良で重めのギヤで風に乗ることができない。このあと100kmも残っているのに、脚は重くなっていく一方だ。
![]() サイクルコンピューター(ハンドル中央)
時速42kmを示している。
バイクパートに移って、何時間走っただろうか?バイクゴールである遠別町の道の駅「富士見」を横目に、さらに北上する。バイクのゴール地点である富士見までは更に北上して幌延町を折り返してこなればならない。今ここでバイクパートをゴールできたら、どんなに楽だろうか。意味の無い思いが頭を駆け巡る。遠別町を過ぎる頃から、風は次第に向かい風に変わってきた。 120km地点の手塩町を通過するとき、幌延町を折り返してきたトップ選手#4松丸選手(千葉県)に遭った。トップの松丸選手とは、およそ45kmの差ということになる。 手塩町を通過し、町外れの手塩川を渡るころには、強風が向かい風となって襲ってきた。まったくと言っていいほど進まない。風車の羽を優雅に回すための風も、向かい風ともなれば、話は別!
車速は時速17kmまで落ちている。
重くしびれた脚に駄目押しをするかのようだ。苦しく、せつない。
幌延町へ向かう交差点まで行けば、少なくとも横風に変わる。いま少しの辛抱だが、自分の体は、限界に達しようとしていた。いままで後方に点のようだった選手が、みるみる近づいては、自分を抜いていく。
こんなはずじゃなかった・・・。
本当にゴールできるのか?こんな思いが延々頭の中をループしていく。
ようやく幌延町へ向かう交差点を曲がることができた。後で聞いた話だが、ほとんどの選手がここを曲がって、天国を感じたらしい。それくらい、いままでの向かい風は地獄だったのだ。時間とともに向かい風は強くなっていたらしく、この区間を早く通過した選手ほど、向かい風の洗礼を受けずに済んでいる。速い者の特権といったところか。
交差点を内陸方向に曲がり、他の選手は、横風・追い風にのってスピードアップしていく。その差はまったく縮まらない。縮むどころか、どんどん引き離されていく。自分は風に乗れない哀れな渡り鳥のようだ。 国道232号を幌延町方向に曲がると、そこは間もなく「サロベツ湿原」。近年、農業用水路整備が進み、湿原に流入する水量が不足し、湿原が乾燥化しているという。乾燥化が続くと、湿原は徐々に後退していき、大切な湿地の自然環境が失われることになる。環境保護のため大学研究班と行政が乗り出したとニュースで聞いている。いつまでも、すばらしい環境の中で、人々が暮らせるように、そしてオロロントライアスロンが続いていくように切に思った。 サロベツ湿原を抜け、さらに内陸へと進むと、折り返し地点の幌延町役場が見えてくる。ここにもエイドステーションが設置されているが、すべてのエイドステーションでは、ライダーに素早く、必要なものを渡せるように、百メートルほど手前で「ほしいもの」を尋ねられる。係員は、メガホンスピーカーで声リレーをして、エイドステーションの係員に伝える。エイドステーションでは、手前で伝えた物が、素早く受け取れるという仕組みになっている。なんともありがたいではないか。大会ボランティアに頭が下がる思いだ。 ![]() 手塩川沿いの巨大風車群。行けども行けども、端にたどり着かない。
最北端折り返し 幌延町役場前のロータリーを折り返したら、先ほど通過してきた遠別町道の駅「富士見」、まで南下する。
幌延町役場が、本コースのほぼ最北端。この幌延町市街の入口と出口でJR宗谷本線を通過するが、線路通過の際は、バイクを降車しなければならない。安全配慮からのローカル・ルールだ。
トップ選手の松丸選手や城本選手は、ノンストップで通過。ペナルティーをもらっても、そのほうが「得」ということか。彼らは、レース後ペナルティーを受けたが、やってはいけないということを、やっていることは非常に残念だ。トップ 選手は、すべての選手の模範となるべきだと私は思っている。
踏み切りでバイクを降りると、さすがに脚の重さを感じるが、ひたすらペダリングを続けてきている脚をリフレッシュできる。再スターしてしばらくは、少し調子が上がるが、すぐに元の重たい脚へと戻ってしまう。 しかし、あと数キロ走れば、海と平行に走る国道40号線に出る。40号線にさえ合流すれば、北上するときにライダーを苦しめた強烈な向かい風は、追い風になるはずだ。この希望的観測を胸にバイクを走らせる。
スタートしてから、6時間が過ぎていた。ロングディスタンス系のスポーツをしたことのある人なら、経験している人も多いと思うが、体の調子には波がある。調子の悪い日でも、何時間後には調子が上がってきたり、調子が良くても下がったりと、長い周期での波があるものなのだ。必ず、調子は上がるはずだ。そう信じ続けてここまできたが、一向に調子が上がる気配がない。 国道40号から232号線へと乗り換へ、バイクの進行方向と風の向きが一致してきた。こんな調子の悪い状態でも、なんとか時速30km以上を出すことができる。調子の悪いときはどうしたら良いのか?いままでの経験から最良の答えを導き出す。 このあたりは、如何にいろいろな条件で練習をしてきたか、つまり経験してきたかが「もの」をいう。というものの、熱心なアスリートではない自分に何が分かるというのだ。少ない経験から絞り出した答えは、「脱力」。
少しでも、脚を休められれば、調子が上向きになるキッカケになることがあることを経験していたからだ。脱力に専念しながら丁寧なペダリングに集中する。この追い風にのって、スピードを上げるライダーにどんどん抜かれていく。今は辛抱のとき、無理に車速上げるより、脚の回復を待つことが完走への一歩だし、調子さえあがれば、前方に点となって消えていったライダーに追いつくことだって可能なはずだ。
![]() 孤独な、一人旅が続く。
concentrate集中
手塩町10km手前で、バイクの進行方向は南向きとなり、追い風と完全に一致した。手塩町を過ぎると、追い風は弱くなっていくはず。遅れた分はここで取り戻さないと挽挽回することは不可能だ。1月前に、オロロン試走会で、同じコースを走っていることが、レースを組み立てるうえで役立っている。 脚の調子は決して良くはないが、見切り発射。途切れていた集中力を取り戻す。最高の集中力で、時速40km以上に上げる。集中力の大切さは、私をロードの世界へ引き込んだ渡会さんから学んだ。この集中力によって、痛みを忘れることも可能なのだ。 3種目をこなして初めてトライアスロンだが、「ラン」のことを考えている余裕はない。バイクパートで精魂尽き果ててもいい。バイクゴールの遠別町まで30km、バイク最後のスパートが始まった。 先ほど、前方に点となって消えていったライダーにだんだん近づいて行く。集中力を途切れさせてはいけない。ペダリング系の神経感度を上げるかのようだ。ペダルを時計の針に見立てたとすると、ペダリングは、360度、常に力を入れ続けているわけではない。ペダリングを時計の針に見立てた場合、11時で踏み込み1時までに終了、1時〜6時にかけては慣性で脚を回す。6時以降は11時の入力に向けて脚の引き上げを行う。入力、脱力という繊細な作業を1分間に100回近く繰り返している。 手塩町に入ると、バイクパート最後のエイドステーションを通過する。ボランティアの声援があたたかい。応援から力をもらう。大きく手を振り、感謝の気持ちを伝える。ボルテージを上げていく。コンセントレーションとの相乗効果が生まれる。ロングディスタンス系のスポーツは、競技時間が長いことから、パフォーマンスには必ず波が発生する。ロング系のスポーツでは、上手に波を繋いでいくことが要求されるように思う。手塩町のエイドステーションでは、上手く自分を乗せることができた。追い風は弱くなったが、強くなった気持ちが自分を後押しする。バイクゴールまで、あと僅か。
バイクパート残り1km、遠別町に入った。脚は乳酸の塊と化しているのか?日本人としてただ一人、ジロ・デ・イタリアに出場した今中大介の話を思い出した。ジロに出場中、幾日にも渡る過酷なレースで、どんなにマッサージをうけても脚の筋肉が硬直し、ほぐれなくなってしまう話を。実力こそ天と地ほど違うにせよ、こんな感じなのか。バイクはもう終わりだ。今頑張らないと、バイクパートに悔いが残りそうな気がした。トライアスロンという競技の中で、バイクパート最後の頑張りなど、何の意味もないかもしれない。ただ、自分の中で心の整理をつけたかっただけなのだ。6時間57分でバイクパートを終了した。思い通りに事を運べなかったことの悔しさと、苦しいバイクから解放された安堵の気持ちが同居していた。 ![]() バイクパート終了。辛かった〜。
バイク降車地点でバイクから降りる。そのまま計測マットの上を通過する。選手の足首には、マラソン大会でお馴染みのチャンピオン・チップが装着されている。500円玉サイズのチップをマット下のセンサーが感知して、オンデマンドに集計が行われる。このシステムとIT技術により、選手の家族や、応援者たちは携帯電話で、選手のチェックポイント通過順位・タイムを知ることができる。先頭と最終の大会車両にはGPSが搭載されていて、こちらもインターネットに情報がアップされる。トップ選手と最終選手の位置を知ることができ、応援に便利だ。 計測マットを通過すると、係員がバイクを引き取ってくれる。引き続き、自分のトランジションバックが、すぐさま手渡される。混雑しないように、バイクゴール数百メートル手前で、係員がゼッケンをチェックし、無線で連絡入れて準備しているのだ。ここ富士見のトランジションで、応援に来てくれた滝澤さんと、2度目の再会。写真を撮ってもらった。受け取ったバックを持って更衣室へと進む。更衣室は、野戦病院のようだと聞いていたが、なるほど、どっしりと腰を据えて休んでいる選手がみられる。ここで諦め組みの空気に包まれてはいけない。残りはランパート41.8kmなのだ。 すばやく着替えをしたいが、思うように体が動いてくれない。バイクを7時間近くも漕いできたのだから仕方ない。ここ、バイクからランへのトランジションでも、トップ選手は時間を惜しみ、ランパートへと突入していく。バイクパートで雨降りの天気から体温低下を考えて、バイクウエアに着替えていた自分は、ランウエアに着替えをした。バイクパンツは、サドルに当たる部分にパッドがついていて、ランの妨げになるのだ。少しの時間で済むので、着替えをするほうが、気持ちの切り替えになり、良いこともある。 ![]() バイクフィニッシュ地点、遠別町道の駅「富士見」
ここから、ランパート42kmが始まる。ここまでくると、あと42km走ったら終わりだという気分になるから不思議だ。
![]() 水分、食料を補給!いざ、ランパートへ ランパートへ
エイドステーションで、水分を補給しランパートへ突入。ランでは、内臓が揺さぶられるため、たくさん食べることはできない。ハンガーノックを起こさないようにバイクパートで、十分食べておく必要がある。ハンガーノックとは、体内のエネルギーが枯渇して、体が動かなくってしまう症状。マラソンの時に経験したことがあるが、とにかく辛い。即リタイアにつながってしまう。これは、食べることにより防ぐことができる。長時間競技をしていると胃腸が弱ってくるので、食欲がなくなってしまうことも多い。強い胃腸を持ち合わせること、そして食べることも大切な仕事だ。 恐る恐るランパートに入ると、以外に体が軽いではないか。脚にさっきまでの鉛のような重さは感じられない。ランとバイクでは、使う筋群が微妙に違うのだろうか。快調に5分ほど走ると、あるアスリートと併走することになった。大阪から参加の清原さん(52)だ。清原さんは究極のロングディスタンス系アスリートと言っても過言ではない。歳に見合わない引き締まった体(良い意味で)。
国内のトライアスロンのロングはこのオロロンを残して、すべて出場。国内に空き足らず、ニュージーランドまで遠征したことがあるとか。今回、オロロンは初出場のため、勝手が分からないようで、何時ごろから寒くなるか、私に尋ねてきた。オロロンは、北海道の8月末に行われる大会のため、夕暮れから気温がぐっと下がることもある。体力を消耗してくると、寒さは一段とこたえるのだ。今日の気象なら、最高気温も上がらない代わりに、低くもなりにくいと判断。夕暮れにかけて晴れてきたので、午後6時過ぎに少し寒くなるかもしれないと伝える。
しかし、百戦錬磨の清原さんは、防寒対策も怠ってはいなかった。エマージェンシー用のポリ袋を携帯していた。ポリ袋は底を三箇所切っておけば、立派なウインドブレーカーとなる。ポリ袋なら小さく折りたためば、ハンカチ以下になるので、気温低下が予想されるレースでは、ポケットやウエスとバックに忍ばせておくとよい。北海道の気候はニュージーランドに似ているらしく、ニュージーも夕暮れ以降は、ぐっと気温が下がってくるという。
こんな話を少ししながら快走を続ける。清原さんから、これは6分/kmペースだと言う。ウルトラランを専門とする彼なら、きっちりペースを管理できるのだろう。このとき自分はどこまでも走っていけるような気がした。 走り始めて10km、少しずつペースダウンしてきた。淡々と6分/kmを刻む、清原さんがゆっくりと点になっていった。 初山別エイドステーションまでくると、日没に近づいていた。初山別エイド(留萌信金前)では、日没後の選手の安全を確保するために、反射タスキが渡される。日没前にゴールする上位選手には無縁のアイテムだ。来年はこのバンドを貰わないで、明るいうちにゴールしたい。 ![]() 快走?いえいえ、瀕死の走りです。
この初山別天文台近くまでくると、海岸段丘のアップダウンが続くハードなコースとなる。フルマラソンでもこれだけのアップダウンを繰り返す大会は少ないだろう。 スイム、そしてバイク200kmを走ってきた体にはこたえる。延々と続く長いアップダウンは、選手をフルイにかけているかのようだ。
初山別エイド前から膝痛が発生してきた。回復する兆しはなく、悪化していく。周りの選手も辛いのは一緒だと心に言い聞かせるが、痛みを伴いながら走っているひとはどれくらいいるのだろうという、疑心暗鬼に陥る。痛いのは自分だけじゃないのか?こんなとき脚を引きずりながら走る選手を見ると、なんてつまらないことを考えていたのだと、恥ずかしくなる。 ここからは精神力との戦いなのだ。痛みに耐えられなければ脱落していく。
今年の初夏に参加したサロマ湖ウルトラマラソン100kmでのリタイアを思い出す。しかし、リタイアしたというネガティブな思い出ではない。ランで辛いとき思い出すのは、「100km走って、どこも痛くないわけないよ。絶対どこか痛いし、みんな我慢して走っているんだよ」というケロさんの言葉。この言葉が辛いときの支えになっている。ケロさんは、小柄であるがウルトラマラソンを何度も完走しているランナーで、自分にとって、ウルトラの主将?ウルトラの母とも言える人である。
![]() 初山別エイドでは、反射タスキ(バンド)を着用する。
遅いランナーは、真っ暗になってからのゴールになるからだ。
仲間との再開
初山別エイドを過ぎて、次の簡易エイドで、谷口さんに追いついた。谷口さんは、膝が痛むらしく、辛そうだ。自分も、余裕がないので、谷口さんをパスして、先に行かせてもらうことにした。ゴールしてわかったことだが、谷口さんは、バイクパートを6時間台前半で走り抜けていた。それから自分に会うまでの経過時間を考えると、相当調子が悪くスローぺースだったようだ。 谷口さんをパスして、どのくらい走っただろうか?歩いている選手に追いついた。追いついた選手は、なんと、のぐさんだった。 彼とは、インターネットの掲示板で出会って、今年の初夏サロマで初対面したばかり。
のぐさんも脚の調子がよくないみたいで、片脚を引きずっている。かなりスローペースな私でも、歩いているよりは速いようで、追い越した。
しばらくすると、今度は私のほうが、走れなくなり歩いてしまう。程なく、のぐさんに抜かれてしまう。「痛々しい、さとちゃんの走りを見ていられないから、先行くね!」のぐさんのやさしさだと思った。「ゴールで合いましょう!」と言ってのぐさんに別れを告げる。本来、先に行く者が言う言葉かもしれないが、「必ず自分もゴールするから」という気持ちを込めて、その言葉を発した。痛みが引いたのか、のぐさんはペースを上げ、どんどん点になっていく。 レース中に知り合いに合うのは、心の支えになるものだ。仮に抜かれても、抜いても、仲間と同じ時間、同じ辛さを共有していると思うだけで勇気が湧いてきた。 ![]() 谷口さん、初山別通過。膝痛がひどいようだ。
しかし、ストロングマン谷口さんは、諦めない!
一向に脚の状態は回復する様子は無く、「歩きたい」という衝動が抑えきれなくなってきた。不幸か否か、歩くと更に痛いではないか。脚を引きずりながらでも、ゆっくり走ったほうが、若干痛みが少ないようだ。疲れによる歩きたい気持ちと、歩いたほうが痛いという、究極の選択が頭の中で葛藤し続ける。 残り、15km程の地点で、北野さんの奥さん、娘さんの葵ちゃん、源さんの車が応援しながら、通過していく。 「ゴールで待ってるからねぇ」北野さんの奥さんが大きな声で声援を送ってくれた。
大きく手を振って通り過ぎていく車の姿を追った。いやはや、自分は何人の人に勇気をもらっているのだろうか。
しかし、心が弱いのか、現金なもので、周りに人がいなくなると、とたんに痛みが顔を出してくる。ひたすら、自分に「がんばれ」と言い聞かせながら走っていた。
![]() 一生懸命走っている人へのご褒美。素敵な景色は神様からのプレゼントかもしれない。
水平線に太陽が消える一瞬。
夕闇迫る
PM5時、曇り空のせいで、夕暮れが迫っていた。車のライトが、初山別エイドもらった反射タスキに反射し、選手を照らしていた。反射するタスキにより、前を走る選手をかろうじて把握できる暗さになってきた。
ここオロロンラインは、街灯が無いため、主催者側で、手作りの裸電球が電柱毎に設置される。心のこもった演出だ。しかし、今日は風に揺れて、寂しさを助長させているかのようだ。電源は、発電機のため、運営委員が燃料を補給しているのを見かけた。我々は「走っている」のではなく、「走らせてもらっている」のだと思えてきた。道路には、自衛隊の方を含め、係員が数百メートル毎に配置されている。走っている選手はともかく、座っている係員は、とても寒いだろう。感謝の気持ちで、「ありがとうございます」と言って通過する。「もう少しだよ。がんばって」という言葉を何度ももらう。この人達への最高の恩返しは、自分の実力を出し切り、諦めずにゴールすることだと何度も思った。
日没とともに、気温も下がってきた。うれしいことに、初山別エイド以降は、各エイドに暖かい飲み物が用意されている。ホットコーヒーと味噌汁である。バイクパートでは、味噌汁がなかったので、スポーツドリンクとおにぎりという、この上なくマズイ組み合わせが発生したが、ランパート後半では、心配無用。これほど味噌汁が旨いと思えたのも久しぶりのような気がする。 ![]() ラン後半の、エイドステーションでは、みそ汁・ホットコーヒーが用意されている。
うまいんだな〜これが。
ゴールまでの距離と残り時間を計算する。どうやら、残りを全て歩いても、完走できることがわかった。関門を分刻みでクリアしていくような余裕のないレースをしたことがある人なら、これがどれほど楽かわかると思う。楽と言っても体は限界に近いので、決して楽ではないのだが、「余裕」という幅が広がるのだろう。残りのランは、少しでもタイムを短縮する努力、少しでも順位を上げる努力へと気持ちを切り替えた。夜7時を過ぎると、辺りは完全に漆黒の世界になっていた。まわりの選手も同じ体力の人が多くなり、平衡状態が続く。誰もペースが上がらないので、歩いた者が落ちていくという構図が出来上がる。 ![]() ここまで、来たかぁ〜。俺ってスゴイかも・・・なんちゃって。
真っ暗で距離感が無くなり、距離表示板の距離がやけに長く感じる。ゴールまで5km、しかし、ゴールである羽幌町の街明かりは、遥か彼方だ。気が遠くなる。歩きたい!歩きたい!がんばれ!がんばれ!ジキルとハイドである。普段味わえない、心の葛藤が何度となく繰り返されていく。 走らない人には、「なんで、そんなに辛いことするの?」とか「ランナーってマゾなの?」と言われる。 なんでだろ〜、なんでだろ〜♪ byてつとも
普段の生活では程遠い、非現実的なまでの過酷な状況に自分をトランスさせて、それを達成したときの喜びが大きいから、やめられないのではないだろうか。辛い時間を長時間続ける、ロングディスタンス系のアスリートは、人それそれに哲学が存在していると思う。競技時間が長い分、心の葛藤というプロセスを経て客観的に自分を見つめることができるからだと私は思う。「自分を見つめなさい」と言われるが、そんなに簡単なことでは無いから、荒行や、禅といった修行が古くからあるのではないだろうか。
![]() 手作りの裸電球の街灯。選手をゴールへ導く。
羽幌町市街に入ると、町のみなさんが、沿道に出て応援してくれている。「幼子の応援に目頭が熱くなった」というチーム3in1まるトラさんの話を思い出した。自分も泣くのだろうか?本音は大泣きしたい気分だ。応援につられて痛みを忘れ、最後の力を振り絞る。ラストスパートだ。沿道のみなさんにできる限り「ありがとう」と言いながら、ゴールへの花道をひた走る。脚は痛かったが、それ以上の興奮が痛みをかき消していた。昨年観客として見ていたゴールアーチが見えて来た。最後に応援してくれたみなさん、運営してくれた大会関係者にみなさんに「ありがとう」とつぶやいて、ゴールアーチをくぐった。 ゴールを暖かく迎えてくれた、みなさん、ほんとうにありがとう。
2002年夏、私のトライアスロンシーンは、静かに幕を閉じた。
〜完〜 ![]() ゴールまで100m!遥かなる道のりも、あと数秒で終わる。良くここまで来たものだ。そして、念願のゴール。
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